経営者の皆様には是非、人材の育成・定着の観点から
経営者が根底に持っておくべき大事な自覚を再認識
していただきたく、今回のブログ記事はまとめてみました。
そして、この自覚をもてることが最強のリーダーシップを発揮するための確かな姿勢となることも知ってほしいと思います。
結論は4点です。
- 経営者たる者、人を導くためには心の奥底に‟無力さ”と‟未熟さ”の自覚をもて!
- ‟無力さ”の自覚を持つことで、傲慢さを排除でき、謙虚な心で接することができるようになる
- ‟未熟さ”の自覚を持つことで、過信を排除でき、部下との健全な関わり方が持てるようになる
- この2つの自覚があれば、経営者のリーダーシップは健全に作動し、人材は期待に応えようと動き出してくれる。
1.経営者になってから気づいた私の2大自覚の欠如
私は経営者となってしばらくの期間、
“リーダーが持つべき自覚”
を全く持っていませんでした。
その自覚の欠如によって、多くの人材をつぶし失ってしまった期間が
創業から約10年間
は続いていたと思います。
どのような自覚の欠如であったか?
“無力さ”と“未熟さ”の2大自覚の欠如です。
私は経営者としてたくさんの失敗をしてきましたが
特に心労として一番重くのしかかっていた失敗は
でした。
具体的に言えば
私の部下にあたる経営幹部や管理職の人たちへの
指導性における失敗
であり、次のような言動です。
- やる気を失わせてしまう言動をよかれと思い発する
- 叱咤激励のつもりが反感をかってしまう
- 信頼を寄せているつもりが不信感をつのらせてしまう
- 期待をし過ぎて過剰な干渉、関与となってつぶしてしまう
その結果、信頼関係が崩れ
といったことを何度も繰り返しました。
その都度、反省はするものの同じ現象を再現させてしまっていました。
これらの人材に関する失敗の要因は、
間違いなく2大自覚の欠如です。
つまり自己認識の甘さです。
そして、この2大自覚は経営者として最低限身につけておくべき資質とも言えるでしょう。
2.‟無力さ”の自覚とは?
創業し、まもなくして社員を少しずつ増やしていきました。
求人に際しての面接時、経営者となった私の気持ちには
「人材を見極めるぞ。試験して採るぞ」
そして、経営者の立場から採用することに対しては
といった感情までもが脳裏にありました。
もっと、俗っぽく言えば
「喰わせてやる」
といったとんでもない感情さえも底流にあったように思います。
応募者と採用側の会社との関係は、
本来、対等なはず。
もしかすると、応募者の立場になれば創業時ですから
- 「社長がどれほどのものか見極める」
- 「入社するに値するか会社を試験する」
- さらに、「この会社を面倒見るだけの価値があるのかをはかる」
- 究極的には「社長を喰わせてやれるか?」
といったところ解釈してもおかしくないでしょう。
事実、一人で起業したばかりに第一号の求人面接のした時のことです。
10歳も年上の求職者から
「社長さんはどちらにいるんですか?」
と社長である私を目の前にして聞いてきたことがありました。
即座に「社長は私です」と言うと求職者は
急に不安そうな表情になったのを今でもよく覚えています。
この面接などはまさに私が試されているといった状態でした。
「雇ってやる」
「仕事をさせてやる」
といった感情は、謙虚さを忘れた傲慢さの表れです。
自分が経営者としていかに無力かということの
自覚が持てていない証拠なのです。
私は経営者となり10年ほどが過ぎた頃にやっと無力さを自覚できました。
ポイント
- 経営者1人で何ができるのか?何もできない。まず、そのことの無力さを知ることから
- 経営者としての権限、時に権力をもつ立場は部下からの負託によるということを知ること
- 社長という肩書では、人は本心から動かないということを知ること
- 社員に一人ひとりの存在があって組織が成り立っている。会社が成立している。その上に社長がいることを改めて知ること
⇒無力さを自覚したとき、“ともに頑張ろう!”となるだろう
⇒無力さを自覚したとき、“あなたにいて欲しい!”となるだろう
3.‟未熟さ”の自覚とは?
私は創業した時、自信がありました。
事業を発展させてビジネスで成功することに対する自信です。
根拠はありません。ですので、過信であったとも言えます。
その危なっかしい自信が社員を採用し育成していく過程で大きな災いとなったのです。
その結果、未熟さ故に部下を
「自分の思い通りに動かそうとするリーダーシップ」
を発揮していたのです。この間違ったリーダーシップは
あとから気づきましたが恐ろしい結果をもたらします。
それは、行き過ぎた場合、部下を隷属させ社畜化までしてしまうということです。
このような強権によって、会社にとって大切な人材を一人失いまた一人失う。
何人も失ってやっと自覚が持てました。
- 部下の意志を自己の意志に変えようとしている未熟さを知ること
- 自分の感情で部下の感情を殺そうとしている未熟さを知ること
- 自分の能力を示すために部下の能力を押えている未熟さを知ること
- 成果を出すために部下を手段化している未熟さを知ること
- 自分を管理できず、部下を管理しようとしている未熟さを知ること
⇒未熟さを自覚したとき、“ともに成長していこう!”となるだろう
⇒未熟さを自覚したとき、“あなたの力を貸してくれ!”となるだろう
4.‟無力さ” と‟未熟さ”の自覚がもたらすものとは?
なぜ、この“無力さ”と“未熟さ”を自覚するとよいのか?
それは、この2つの自覚が持てると、経営者となって得られる
最高の恩恵を部下より授かることができるからです。
この恩恵は経営者の資質を高めてくれる尊い教えと言えます。
経営者が素直に自身の無力さと未熟さを自覚できるようになることは、
最良な経営者像に向かうでしょう。
同時に最強のリーダーシップを発揮することができると確信しています。
最強のリーダーシップの中身は、
未熟だからこそ、「社員を信じ、社員から学ぼうとする」。
私はこのような経営者を理想と考えています。
付け加えておきますと、“無力さ”と“未熟さ”を自覚することは
「経営者に求められる重大な認識」と理解するだけではなく
とも捉えることができるでしょう。
《まとめ》
- 経営者は社員を導く仕事をしています。導くには‟正しさ”が必要です。
- その正しさとは社員の‟主体性”を重んじることから始まると言えます。
- その主体性を引き出すためには、絶対的に社員の‟人間性を尊重”することが必要です。
人間性を尊重するためには、人間に対する基本的な‟畏怖心”が不可欠と言えるでしょう。
畏怖心があればこそ自身の「無力さと未熟さを純粋に自覚できる」のです。
そして、畏怖心こそが、企業の組織論において
経営者のリーダーシップに欠かすことのできない資質の中核となり得るものです。
経営者の畏怖心から生み出される自身の無力さと未熟さの自覚こそが
「最強のリーダーシップを発揮する源」
となると考えます。