「社畜はいらない」と社長の私が思うワケ

私は長い期間、経営者として執務をこなしてきました。
その間、職場の社員の皆さんに常に言い続けてきた言葉があります。

「自分らしく」を大切に。
「自分を生きること」を大切に。

この2つの言葉です。

私も経営者として「自分をしっかり表現するよ」。
つまり、「自分に正直に生きるよ」とも発言していました。

そして、社員には本気で

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「決して社畜となるな!」

とも言い続けていました。

会社は社員の幸せのためにある。
社長は会社の総責任者。
よって、社長の最大の使命は社員の「幸せである」という信念に基づいているのです。

「社長は社員第一主義、

社員は顧客第一主義」

が私の信念です。

「上司を生きるな、自分を生きること」
「会社を生きるな、自分を生きること」
「顧客のため、社会のため、そして、自分のために働くこと」

もし、上司のため、会社のため、といった社畜社員になると・・・、

悲しい以上に惨め、
それ以上に愚か、
そして

「あなたは、何のために

この世に生を授かったのか?」


と問いたくなります。

相田みつをさんの詩に、

「自分が自分にならなくて誰が自分になる」

という言葉があります。

わざわざこのような言葉を表現しているくらいですから、自分が自分になるのって本当に大変なことなのでしょう。

私も含め、人間は周囲の人とうまくやりたいと思い、ついつい、

「自分が自分にならず

他者になってしまう」

といったことが結構あるような気がします。

例えば、イエスマンがいたとします。
イエスマンとは上司や先輩など自分にとって影響力のある人や権威のある人に対してご機嫌取りをとる人のことです。

迎合や忖度といった言葉が当てはまります。

それは、「自分を捨て、他者になる」ことを意味します(ちょっと大げさかな~)。
完全なる主体性の欠如というわけです。

生活におけるたわいもないことで、会話の流れからうなずき程度にイエスと言っている分には何の問題もないでしょう。

でも、大切な事柄なら自分の意見をちゃんと言うべきです。
もっとはっきり言えば、ここ一番、自分の人生態度を表明すべき場面では自己主張をすべきです。

でないと・・・、
本当の自分の存在がなくなり、別の人格をつくりあげてしまいます。

いや、周囲から

別の人格を決定づけられてしまうのです。

もし、自分の意見を言えないとなれば、
それは相手を欺いていることになる。
と同時に、自分を欺いていることにもなるのです。
事と次第によっては罪深いことにもなりかねない。

相手に同調する行為は決して悪いことだと思いません。
ケースバイケースでしょう。
人間社会、同調なくしてコトは上手く運ばないことが結構ありますから・・・。

人間は社会的な存在。
そして、社会性の度合いが人間の成熟度とはかられることもあります。

とはいっても、要所要所、自分をしっかりとだすことは大事なこと。
でないと、

「自分が自分にならなければ生まれてきたかいがない!」

ってことになっちゃいますから。

この言葉、相田みつをさんと同じ栃木県出身の山本有三氏の言葉からのアレンジです。

「たったひとりしかない自分をたった一度しかない一生をほんとうに生かさなかったら人間うまれてきたかいがないじゃないか」    

名著「路傍の石」の一節

相手をごまかすことは自分をごまかすこと。

ごまかしている自分をずーと演じていると、いつの日か、そのごまかしが自分になってしまい、本当の自分に戻れないことになってしまうかも。

(ちょっと脅かしてしまいすみません。私も私を生きるよう頑張ります!!)

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この記事を書いた人

中小企業の社長に向けて、「毎年黒字企業」になる方法を発信しています。20代で株式会社3社を起業。約35年間、経営者として活動中。国立大学でも客員教授を約20年間務めています。バンドでギターを弾きまくってます。

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