視点—1:経営者は 「経営の妙味」として“いい加減さ”を持ちあわせていることが大切
視点—2:経営者には 「経営の中庸」として“よい加減さ”を持ちあわせていることのが大切
視点—3:‟いい加減”と‟よい加減”を連動せよ
経営には「“いい加減”と“よい加減”の両方が不可欠です」といっても意味不明ですよね。
いい加減とは、「判断に遊びがあり、決断に一貫性がないこと」を指し、
よい加減とは、「判断に整合性があり、決断に統合性があること」を指します。
経営者は経営の局面に応じて、どちらも必要と言いたいのです。
別の表現を使うとすれば、「いい加減な適当」と、「よい加減な適当」、どちらも必要と言ってもいいかも知れませんね。
❖‟いい加減”とは経営の妙味だ
まず、“いい加減”についてです。
「妙味」とは経営の判断や決断の中にすぐれたおもむきや味わいがあることを指します。
私はこのおもむきと味わいを「気まぐれな遊び心」と捉えています。
ときどき、
といった反応を社員に持たれてしまう。また、
などと陰口を言われてしまう社長もいます。
もっとひどい例ですと
なんてことも言われてしまう。
どれが本当の性格かよくわからない。
時々、もしかしらた「人間じゃないかも?」などと、化け物扱いをされることすらあります。
これらを弁護しますと、判断に「遊び」があるからそう思われるのです。
そして、決断に「一貫性」がないと思われているからそう言われてしまうのです。
このような状況を私は‟いい加減”と呼んでいるわけです。
この‟いい加減”は経営の局面において、特に臨機応変に適応していかなければならないときに有効に働くのです。
判断に遊びがあるとは、固定観念や先入観によって判断が縛られていないということです。
この遊びの要素があって縦横無尽に事を成すことができる。
社員からすると過去の決断のケースと比較すると一貫性がないように思えるものかも知れません。
逆のケースを考えてみましょう。
‟いい加減”の反対語は“真面目”です。
真面目という言葉からは、几帳面で、真剣で、慎重で、誠実で、常識的で、道徳的です。
しかも真面目には、斬新で超越した奇想天外な発想を生む要素をほとんど感じません。
やはり、現状を否定し大胆な改革をすることや、今までの既成事実に対して、慣行に対して、既成概念を打ち破ることができる。
これが“いい加減”さの最大の武器です。
あまり過度の決めつけはしたくありませんが、私の回りの経営者を見てみていてつくづく思います。
真面目な社長より、いい加減な社長の方が経営はうまくいっていると。
この‟いい加減”さとは、2011年に亡くなったスティーブ・ジョブズの言葉にも一脈通じるかもしれません。
彼は2005年春に米スタンフォード大学の卒業式で
と唱えました。
ジョブズ氏の精神、foolish とは、簡単に言えば「常識を破りなさい!」そして、「日常に甘んじることなく」(hungry)、そういう気持ちを持ち続けてほしいといった意味だったと思います。
ただし、そこには注意点があります。
本当にいい加減ではいけないということです。本気で遊びにはまる。
その結果、経営にほとんど意識が回らないとなっては、経営に必要ないい加減の限度を超えていることになります。
経営の神様である松下幸之助氏も言っていました。「心を許して遊ぶなかれ!」と。
❖“よい加減”とは経営の中庸だ
次に、経営者には 「経営の中庸」として“よい加減さ”を持ちあわせていることの大切と考えています。
「中庸」とは経営の判断や決断の中に偏らず、過不足がなく調和がとれていることを意味します。
私はこの偏らないことと、過不足なく調和がとれていることを、「整合性と統合性」と捉えてるのです。
この場合、整合性とは辻褄が合っている状態を指し、統合性とは全体のバランスが高度な次元で融合している、調律が整っていることです。
“いい加減”は柔軟な着想、遊び心のあるアイディア、既成概念に縛られない思考などを意味するのに対して、“よい加減”は経営の判断において状況を正しく分析し、客観性をもってして論理に矛盾のない判断をする。
そして、過去、現在、未来の時間軸と周囲の環境や与えられている条件下で利害の調整を図り最善の選択をする。
つまり、統合された決断をすることを意味します。
❖‟いい加減”と‟よい加減”を連動
ここで‟いい加減”と‟よい加減”を連動させて成果に結びつけるケースを一つ紹介します。
例えば新規事業の開発から実際の商品もしくは事業の完成スタートまでを想定し説明します。
そして、完成しいざ実行・展開段階に入るときは‟よい加減”に転換すること。
ここに‟いい加減”と‟いい加減”を連動が存在しています。
開発段階では野心や好奇心と飽くなきチャレンジ精神。
そして、奇想天外な発想、さらには、採算度外視の空想、妄想などが多分に大切な要素であり、この‟いい加減”さの遊びの中でこそ素晴らしい開発の源泉があるように思います。
過去に存在していなかったアイディア、事象を新規に思いつくにはどうしても‟いい加減”は必要です。
しかし、開発の仕上がり段階に入った時、つまり、商品化や事業化の完成時には戦略立った計画性や、緻密なマーケティング活動が求められるわけです。
この段階になると‟よい加減”が求められる。
まとめますと、新規事業の開発局面では‟いい加減”に始め、完成局面では‟よい加減”で臨む。
ことこのように‟いい加減”と‟よい加減”は対局にあるのではなく密接不可分の関係にあり連動しているのです。
換言すれば、いい加減さとは柔軟な“創造性”を意味し、よい加減とは確固たる“戦略性”を意味するとも言えます。