60歳を超え、「周りの人の言うことに素直に従う」ことの大切さを知る

起業家のつのだアントレです。今回は、60数年を生きてきた私が、思うところを書いてみます。

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「語感内省」~”度量”と”器量”~

私は経営者として企業の舵取りをしてきて、はや30年になります。この間、「自分は人間としてどれほどの成長を遂げられたか?しかも、支持され、愛される人間として・・・。」と考えていましたが・・・正直、この問いには自信をもって答えられません。

ただ、自信をもって言えることは、「人間として成長したいと思って歩んできた」ということ。もう一つ、「関わった人とのお付き合いを通して育てられた」ということです。

つまり、成長への意欲と意思はありました。そして、成長への手助けを多くの人にしてもらいました。ありがたいことです。
成長の中身は?と問われますと、“度量”と“器量”と考えています。

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・度量とは、「人の言動や物事の在り方を受け入れようとする心の広さと深さ」です。
・器量とは、「物事を成し遂げる能力、そして、普段から持ち合わせている見識」のことです。
(私なりの解釈ですが・・・)

度量には、清濁併せのむことのできる心が必要です。また、何事に対しても寛容な精神というものを身に付けていなければならないでしょう。別の言葉で言えば“雅量”そのものだと言えます。

*雅量(がりょう):人を受け入れるおおらかな心。

器量とは、多くの知識を学び、多くの経験を経て、新たな考察と知恵が生まれ、人の助けとなる良識や知見があることです。つまり、心が広く、見識があり、その結果、達観している人を度量、器量がある人と言えるのだろうと思います。

経営者としてのこれまでの歩みを振り返りますと、度量、器量を身に付けることにおいては、経営職はとても有益なものだったと思っています。もっと言えば、人間的成長を遂げるには最短距離であったと・・・。

しかし、その成長の裏では多くの人の協力を得ていたことと、それと同時に、恩をあだで返しているような犠牲が払われていたことも実感しています。狭量そのものの未熟な人間がある日突然、経営者となったわけです。

すると、狭い心(度量なし)と見識のなさ(器量なし)から、稚拙な判断で社員に接してしまうことになります。良い関係がつくれるわけがありません。

その結果、多くの社員が私のもとを去りました。しかも、傷を負って・・・。心から申し訳ないことをしたと思っています。

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もう既に60歳を超えました。孔子の言葉に「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」という論語の一説があります。

この言葉を解釈しますと、60歳では“周りの人の言うことに素直に従い”ということですが、私自身、まだまだ我が強く、その域に達しておりません。何とか、死ぬまでには少しぐらい近づきたいものです。そして、願わくば度量や器量を増やしたいと思います。

ここまで読んでいただき心より感謝申し上げます。

今後も、私の体験談とそこからの教訓をまとめた「語感内省」シリーズを引き続き発信していきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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この記事を書いた人

中小企業の社長に向けて、「毎年黒字企業」になる方法を発信しています。20代で株式会社3社を起業。約35年間、経営者として活動中。国立大学でも客員教授を約20年間務めています。バンドでギターを弾きまくってます。

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